あの夜に交わした握手
2018.01.07
みなさま新年あけましておめでとうございます。本年もT-STUDIO・ハタナカ・enoをどうぞ宜しくお願い致します。
年末は本業が極めて多忙で、本来は2017年内に納品したかった複数案件がいくつか遅延しており何名かの方には大変ご迷惑をおかけしております。現在全力で取り組んでおりますのでどうかいましばらくのご辛抱をお願い致します。また、このページもなかなか更新が出来ずの状況に私自身も歯がゆい気持ちでございました。何かとお伝えしたいニュースも多いので、近日中にそれらをまとめて紹介させていただこうとも考えております。どうか引き続きご支援頂戴できればと思います。
情報満載の記事と画像を準備してから皆様とここで再会するつもりでおりましたが、今夜は少し思うところがあって急遽キーを叩いております。ターミネーターやエンドスケルトンにあまり関係が無いのでお忙しい方はここから以下はアスタラビスタ・ヒエロラトレメンタで宜しくお願い致します。
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ここをご覧の「人生経験豊富」なみなさまは、その過程で幾度か人の死に触れてこられたと思います。僕もそれなりにございます。知らせを聞いて驚いたり落胆したり悲しんだり、その故人との思い出を回想しながらしばし気持ちが沈んだり等々。若くして病に倒れた同級生や後輩、痛ましい事故で命を落とした思春期の頃の同志、恩返しや孝行ひとつロクにさせてもらえぬまま旅立ってしまった祖母や祖父、社会の厳しさを親身に教えてくれた前職時代の恩人…。思い返すだけでまた切ない気持ちになるのですが、幸いにもそれらは「葬儀に出向く」とか「遺族と気持ちを共有する」ことでいくばくかはその失意を緩和することができました。ただ今夜はその悲しみのやり場がないため、ここに吐き出させてもらいます(本当に個人的な内容です。ゴメンナサイ)。
「ナゴヤでタイガースを応援する」という不遇な運命を背負った少年時代の僕にとって特別な存在だった星野さん。
1992年の夏の夜。試合後のナゴヤ球場周辺は家路を急ぐ観客達で溢れていました。昭和の香りを色濃く残す球場周辺の街並みは灯かりもまばらで薄暗く、勝った負けたと騒ぎながら行き交うのはビール臭いおっちゃん達。名古屋ではめっぽう弱かったタイガースはたぶんその夜も負けたんじゃなかったかな…。
そんな雑踏の中、遠目からでもスグにわかるあの大きな身体。スーツ姿だったのは、その夜の試合中継の解説をしていたからだと思います。「あ!仙さん!」と言ったか思ったか、僕は車道を挟んだ反対側を歩くあの人の元に自然と駆け寄っていました(当時もうすでに15だった僕が、それはもう小さな子供のような気持ちで…)。前年に退任していたとはいえ、僕からすればいわゆる「憎っくき敵将」のはずなのに。「男として引き寄せられる何か」を確かにあの人は持っていたんです。
周囲はあの星野仙一だと気付いているのに、誰一人声を掛けたりしないのは名古屋人特有のシャイな気性からなのか、はたまたオーラたっぷりなあの佇まいに気後れしていたからなのか。そんなのお構いなしに走り寄り、声を掛ける僕。わざわざ足を止め、僕の眼をしっかり見据えた星野さんは少し微笑むと、差し出した僕の右手を「ガッチリ」と握ってくれました。あの力強い感触が今でも忘れられない。「これが男と男の握手か…」しばらくは心ここに在らずだったことは言うまでもありません。カッコイイとかステキだとかそんなのを完全に超越した得体の知れない凄味、あんな感覚は後にも先にもあの一度きりです。
時は流れて2002年。星野さんが我がタイガースの将となった際の僕の心情は想像に難くないと思います。翌年には、僕の人生で経験することはないと思っていた優勝の悦びまでももたらしてくれました。星野さん本当にありがとう。
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先日、僕と握手をした人は言いました。「イタタタ…」と。僕と会ったことがある人はわかると思いますが、どうやら僕は男性と握手をする時には結構な力で「ガッチリ」と握る癖があるようです。今日、星野さんの訃報に触れて色々と想いを巡らせるうちに気付いたこと。そう、僕が人と握手する際の力加減は、あの15の夜の出来事が間違いなく影響しています。
永遠の闘将、どうか安らかに。
明けましておめでとうございます。
こちらこそ宜しくお願い致しますね。
(*`・ω・)ゞ
コラム、なかなか更新されない時などは、あぁ、本業がお忙しいのだろうなぁ~・・・身体壊してなきゃいいけど・・・などと想いながらお待ちしております(笑)。
けど、ご無理なさらずご自分のペースでお願いしますね。
仙さんの訃報は寝耳に水で、え!具合悪かったの?なんて我が家でも驚きの声があがったほどでした。
ハタナカさんの過去、そして現在にも多大な影響を及ぼした方だったんですねぇ。
そんな僕は、関係者のお父上の問題がメディアに取り上げられ、どう声を掛ければ良いのか、複雑な心境で仕事に向かう途中です。