「切削のマツ」の晴れ舞台(2017.01.15)
2017.04.08
T-STUDIOの金属切削担当・松本行生氏との出会いは今から4年前。2013年5月のメールでのやりとりがそれです(具体的内容に関しては当時のコラムを)。その年の秋には私が氏を訪問し、初対面のその日に酒盛りをしました。私よりも少し年上の彼はとても物腰が柔らかく控えめで、それでいて氏の本業たる金属加工の話になると途端に目つきが変わる、そんな人です。始まりこそ「作品の依頼」という形ではありましたが、気がつけば高橋清二氏との初接見の際や数回のワンフェス参加の際など「関東でのT-STUDIO関連行事」にはいつも彼は私の傍らでサポートをしてくれるという関係に。そしてそのような時間を重ねるにつれ彼と私は「エンドスケルトンが縁で生まれた良き友人関係」へと変わっていきました。関東遠征の際にはご自宅で度々枕を並べたり、お兄様が経営されている料亭に招いてもらったり…。二日酔いの朝に出向いたファミレスには彼の甥っ子がバイトしているんだとか、ふらりと寄った焼き肉屋は「ここは昔家族でよく訪れたんだよ」とか、こないだ買ったクリームパンにまさかの陰○が入っていてさすがにメーカーにクレームの電話を入れたら即座に謝罪に来た、とかとか。仕事や趣味、家族構成や生い立ちに思い出話、定期的な近況報告など、なんというか「独身で彼女無し」だった当時の彼を独占していた私はまるで「名古屋に住む遠距離恋愛の彼女」的立ち位置をも兼ねていた、そんなふうに色々と思い出されるのです(笑)。
「松本さん、彼女できた?」とか「いつか訪れる松本さんの結婚披露宴に、僕はカイル・リースのコートをきて行きます」とか、散々冷やかしていたものですが、「その時」は唐突にやってきました。勝手に身の上をいろいろ心配していた僕にとってそれはすごいビッグニュースで、心の底から嬉しかったのであります。「よかったねー!松本さん!」と叫んだ記憶があるほどです。この画像は、名古屋まで奥様(当時はカノジョ)を紹介に来てくれた際の一枚。私のオフィスに女性が訪れた際の恒例行事「ナンノサイズの鉄仮面が被れるか、の儀式」を躊躇無く引き受けてくれた女神様の図、です。
「2017年1月15日の披露宴で、T1エンドスケルトンを飾りたい」と聞いたときはまさかと思いましたが、彼の気持ちは固く、またT-STUDIOとしてもスケジュール的にいい目標になるということで快諾。この画像は、1月11日にヘッドの仕上げ工程をメールでやり取りしていた際のものです。普段は低姿勢で優しい彼ですが、殊エンドスケルトンのこととなると手厳しい注文とリクエストを遠慮無くしてきます(笑)。もちろん彼への作品となれば、喜んで引き受ける私なのです(だいたいそのリクエストも歯の色味がどうとか汚し具合がとか、シリンダーの向きが云々といったド変態オーダーで、私や榎本を苦笑いさせるものばかりです)。
かくして、披露宴までに無事作品を完成させたわけですが、ここで大問題が…(ここの話は松本さん本人にも話していない舞台裏)。なんだかいきなりどこかポータルサイトのようですが、当時の臨場感をお伝えするためにこんな画像を載せてみます(三角マークを何度クリックしても再生はされませんのでご注意)。よりによって天候がこんな状態で、果たして名古屋から横浜まで作品を運べるのか、東海地方はこうでも関東はどうだ、と前日は気が気でありませんでした。通行止めになろうものなら作品の搬入どころか松本夫妻の記念の日を祝えない。最悪当日朝の様子を見て新幹線で向かうが、その際はヘッドだけの持参になってしまう。会場側に用意してもらったスペースに頭一個だけの展示は淋しすぎる…などの悲劇が頭をもたげます。作品の輸送・搬入に関するドタバタは慣れっこの僕や榎本ですが、さすがにこの時は冷や汗が出ました。
で、出発の朝(夜中の2時頃)。これは工房のバルコニーからの様子ですが、まず自宅からここへ辿り着くまでが決死の闘いでした。雪国の方には笑われてしまいそうですが、この程度の雪で名古屋はひっくり返ります。深夜の凍結路をノーマルタイヤで牛歩戦術です(自宅を出発する前にまず車を覆っていた雪を30分かけて除去し、通常15分の道を1時間弱駆けて走行)。工房で落ち合った榎本とともに作品を積み込み「なんとか東名高速に乗るまで頑張ろう」と気合いを入れて誓い合い、そしてゆっくりゆっくりと出発しました(3時頃)。
東名になんとか乗ったものの、まさかの猛吹雪で静岡に入るまでは命懸けでした。留之助商店時代には高山-名古屋を何度も行き来し、雪道に慣れているはずの榎本をして「これはやべえな…」と助手席でうわ言のよう呟いていたあの窮状、今でも忘れられません。ノーマルタイヤに加え、猛吹雪で視界が殆ど無い深夜の高速道路…。前方を走る車両のリアフォグの赤い光だけが頼りでした。これはその猛吹雪を抜けてほっと一息つき、運転を交代する際の一枚。しかしこの画像、笑えます。まわりの車の「普通っぷり」に比べ、名古屋から決死の覚悟で突き進んできたこの「普通じゃない感」、みなさまにも伝わるでしょうか。
命からがら横浜へ辿り着き、披露宴会場へ作品設置を終えた時にやっと「祝福ムード」がこみ上げてきました。懸念された「結婚披露宴+ターミネーターという違和感」も、意外になかなかどうして絵になるではありませんか(私見)。T1本編では炎の中から現れるエンドスケルトンですが、こいつは猛吹雪の中から現れました。
幸せいっぱいの光景。心から「よかったね、松本さん」という想いです。これまでいろんな披露宴に出席しましたが、この日は格別でした。それはきっと出席したみんなが思ったのではないでしょうか。そう思わせる松本さんの普段の人柄、それに尽きます(「T1劇中を参考に!T1劇中を参考に!」ばかり言っているド変態ぶりはこの際置いておきましょう)。
「なんでターミネーターが?!」という質問攻めにいちいち答えねばならない松本さんの苦労を先読みして、コトの経緯をまとめたキャプションボードを製作してエンドスケルトンの傍らに設置しておきました。「『切削のマツ』とターミネーター」というタイトルとともに、T-STUDIOの作品づくりにおいて今や欠かせない存在であるということを綴ったこのボードは今でも松本邸に大切に飾ってもらえているようです。
ちょっと作品についても触れさせてください。以前紹介した京都のギャラリーに設置済みのあの個体の兄弟分です。ターミネーター1作目の終盤で使用された上半身だけのパペットのレプリカで、あまり詳しく書けませんが「由緒ある個体」を元に製作したT-STUDIO渾身の作品です。完成まで苦節三年かかりましたが、パートナー榎本の参画がなければさらに時間がかかっていたかもしれません。細部の再現はもちろん、この「焼け焦げ感」はT1エンドスケルトン独自の風合いで、私が長きに渡って研究・検証してきたものです。普段の見慣れた工房のライティング下ではなくこうした空間での様相はとても新鮮に感じました。それとともに、私のT1エンドスケルトン再現への険しい道のりはひと区切り着いたかな、なんて思いました。
無事に披露宴は終わり、その後再び作品をバラして車に積み込んだ私と榎本。松本さんから預かった合い鍵(もはや家族同然の関係)で二人の新居にお邪魔し、事前に打ち合わせをしていた場所に組み立て・再設置を行いました(リビングにドーンと鎮座したこの作品の画像は二人のプライバシーを鑑みて割愛しますが、なかなかの変態的光景でした)。「撮影時にコト足りれば良い」というムービープロップとは違い、長年の展示を想定した耐久性と品質がT-STUDIO作品のウリですが、幸せな二人に日常こうやってヨシヨシと愛でられても大丈夫なように通常の数割増しで頑丈に作ってあります。
松本さんと涼子さんの幸福を、いつまでもコイツが見守っていますからね。
凄まじく羨ましい結婚式ではありませんか!
そもそもウチは式自体挙げてないのですが(笑)。憧れますねー。