幻の「国営放送仕様」
2016.05.01
あのアルファベット三文字を出してしまえば早いんですが、諸々考慮しての表現です(こんなコラムを読んでるのはほんの数人の方たちだけだと今も本気で思っていますが、そんな甘い認識がバカッター達を産んでるのだと自分に言い聞かせております)。
(第1日目)とある週の木曜日、本業の雑務を午前中で終えた私は工房でいつもの通りパートナーの榎本君と肩を並べて切削・研磨作業などをしておりました。ふと新着メールに気付いた私はその内容にやや疑問が。「***アート」と名乗る差出人から「番組でエンドスケルトンのライフサイズを使いたいので貸し出してもらえないか」というもの。早速電話を入れると、なんでも日曜日夕方の生番組で人工知能に関する特集を組む中でエンドスケルトンを使用したいのだそう。疑問というのはつまり「別にウチじゃなくてもライフサイズ持ってるところ(レンタルしてくれるところ)だったらどこでもいいんじゃん」という点で、つまり今まで、T-STUDIOに製作以外の何らかの依頼があった場合、それは「T-STUDIO」をご指名の案件だったわけで、今回はやや「毛色」が違うなと感じたのです。もちろん、国営放送の画面越しに我が工房の変態仕様ライフサイズエンドスケルトンが拝めて、なおかつレンタル費用まで頂けるならば細かなプライドや自尊心は傍らに置いとくべきだとも思いました。
「表現者としてのT-STUDIO」ではなく「国営放送に協力する善良な市民」に気持ちを切り替えた私は即座に「日曜の放送ということは土曜日には届けておかねばならない。ライフサイズを解体して梱包・配送するには半日はかかる。それに台座だけは元箱が無いので専用のカートンを製作する必要も云々」と、納品手段について思索を巡らせました。一旦電話を切り、この手の緊急事態にすこぶる冷静な判断を下す榎本君と緊急会議に。
出入りの配送業者君たちなどを交えて作戦を立てた結果「台座以外は配送・台座は僕らで陸送・現地で組み立て」という結論に。「このライフサイズ、リペイントしといてヨカッタネ、売らなくてヨカッタネ」などと安堵したのも束の間、先方から「ライフサイズはセットのキャパ(全長)を超えているので使用できない」「ハーフサイズは用意できないか」「土曜日の21時までに」というドンデン返しが。この時の私の心はまだ善良な市民で、気持ちとしては「テレビ業界も大変だよな、うん。方々当たってやっと見つけたライフサイズエンドスケルトンがフレームアウトするとか今頃わかって現場はさぞひっくり返ってるんだろうな。ハーフ?ありますよ。でもT1仕様にするために温存しといた個体で、ヤフオクでゲットしたジャンク品ゆえ、あちこちバラバラなんですけど…」という具合(私の心の声です)。
既に工房を後にした榎本君に電話をかけて「諸事情でハーフがいいんだとよ。しかも土曜日の夜に欲しいんだと。でもテレビ画面に出すには「右腕の伸ばし」含め相当に手を入れねばならない。せっかくやるなら前回の改修ハーフ並かそれ以上の工作をしたい。明日の1日で仕上げて、土曜日に陸送するしかないが共に闘う気はあるかい?」と問うた私に「やりましょう」と即答の榎本君。ま、ノーというわけがないと分かってはいたんですけれど。
ちなみに下の画像はその電話を終えた直後に引っ張り出してきたジャンクハーフエンド君。
(第2日目)前夜は私も榎本君もお互い各自に工程シミュレーションをひとしきり行ったため、朝から迷い無くそれぞれのパートを黙々と作業。
「ここまでやる必要ないよなあ」
「相手は求めてないよね」
「エグ過ぎて司会のタレントさん引くよねこれは」
「僕らに頼んだアチラが悪い」
「美術協力だなんていうからそれなりのもの出さなきゃ」
とまあこんなやりとりの繰り返し。この時点ではすでに善良な市民などではなく、悪ノリが過ぎるただの変態アーティスト(それこそが真のT-STUDIOの姿)に成り代わっており、しばらくは水を得た魚よろしく互いのスキルをこれでもかと披露し合ったのでした。「肘の角度だけじゃ無く、肩関節の角度も変えようか。そのほうが絶対にカッコイイ。やれるっしょ!」といったいつもの悪い癖が出始め、挙げ句の果てには「人間というのは追い込まれたり大きな目標を前にすると、信じられない集中力とパワーが生まれるものなんだ」などと、おおかた形になりつつある作品を前に余裕の一句も。早朝から作業を始めて、正午を過ぎたあたりのことです。
ただ、造型の神様は意地悪で、そんな僕らに試練をお与えになります。 「電飾の接触不良発覚!」
想像力豊かな(妄想好きな)僕らはイメージします。生放送中に眼球発光が消える、もしくはチラチラ点滅する。司会者が叩いたら治った…等の赤面シーンを!それだけは全力で避けたい。名誉どころか笑いものだよそりゃ…。とはいえ、あれこれ試行錯誤している時間はない。不安定な電飾を安定させる方法はただ一つ、回路を組み直すこと。台座の改修と両腕の肘・肩を伸ばす獣道を全身傷だらけになりながら突き進む榎本君の傍らで、私は電飾回路新造という旅に出たのであります。結論から言うと、最初に思いついたプランAは初歩的なミスにより眼球内部のLEDがショート。つまり「頭を外して眼球をくり抜くこと」を余儀なくされたのです。この絶望感、みなさまおわかりでしょうか。納品までの時間が刻々と迫る中、失敗の許されない大手術をせねばならなくなったのです(頭部は中空ではなく無垢なのです)。いや、しっかりわかって頂きたいから例えます。「自分の学力に自信がもてないままに臨んだマークシート方式のセンター試験。得意の分野が出題されるはヤマは当たりまくるわで最高の出来!試験終了五分前にさあ軽く見直すか、とその時!回答欄をひとつずつずらして塗りつぶしていたことが発覚!」という状況です。絶望ですね。
そこからの記憶が曖昧です。電気パーツ屋を三往復くらいしたでしょうか。気がついたら完璧な電飾ユニットが出来上がっており、くり抜いた眼球には新たに高性能LEDが組み込まれていて、おまけにテレビ映えするようにとT-STUDIOお得意の「均一発光仕様」にまでなっていました。かすかな記憶を辿ると思い出すのは「これで頭の角度が変えられる・・・生々しい表情を作れる・・・なんならOPバトルダメージ張りに睨みもきかせられるぞ」といったワードをブツブツ呟きながら自らを鼓舞し、ただひたすらハンダ付けをしている光景です。
とまあコメディタッチに語ってきたここまでの様子ですが、それは「いま思い返せば」なのであって、やってた本人達の内心は迫り来るタイムリミットと一発勝負の工作が連続する中でそれはもう「闘い」そのものでした。求められてもいないクオリティを追い求めてしまうのはただひとつ「T-STUDIOとして恥ずかしいものは出せない」という気持ち。もちろん「国営放送の画面越しにT-STUDIO謹製エンドスケルトンを見てみたい」というミーハーな心理もありましたが(何よりここをご覧のいつものみなさまが嬉しいだろうなあ、って)。
かくして、24時間を要すること無く出来上がったのがコイツです。
これの何倍も時間をかけた前回のハーフよりもはるかにハイクオリティなものができたと自負しています。念や魂の入り具合はもちろんのこと、どの角度から抜かれてもかっこよく映るようにと細部にまで拘った関節角度、強いライティング下でアップにも耐えうる汚し塗装やダメージ表現、そしてターミネーターのアイデンティティたる鮮烈な眼球発光など、いずれもが前作を超越しています。台座に施した水たまり表現は、作品全体に文字通りの「ウエット感」を持たせる意図があって、退廃した未来世界の大地に立ち尽くすエンドスケルトンに生命感を持たせる一助となっています。
人間とは欲深い生き物です。ほぼ完成状態まで漕ぎ着け、あとは細部のレタッチを残すのみという状態の作品を眺めつつ腕組みをしながら私は「ねえねえエノやん、この左手の親指ってまっすぐ伸ばすの結構大変?ちょっと気になるんだよねえ」と呟くと、次の瞬間にはおもむろに親指にニッパーを入れる榎本君の勇姿がありました。
(第3日目)21時納品という縛りがある以上車での納品はややリスキーと判断し、新幹線で向かうことに決めました。ハーフとはいえバラした上で厳重梱包の必要があります。この日も早朝に工房へ入った私はまず細部の気になる部分をひととおり調整しました。面相筆を手に「明日の夕方は全国のお茶の間にお披露目ね。できるだけの化粧はしたから、あとは思いっきりみんなをビビらせてきなさい」などと嫁入り前夜の母娘のやりとりにも似た対話がありました。できるだけのことはやったなと自らに言い聞かせ、部品ごとに梱包。
午前中は私用でお休みだった榎本君が工房へ到着した頃には9割方の梱包が終わろうとしていました。 そしてあの電話が。
次回の長文コラムでも述べるつもりですが、熊本での地震により番組編成が流動的で番組自体が流れる可能性が有り、もし予定通り放送するとしても被災者への配慮から過剰な演出は差し控えたいという先方の決定。万が一放送自体が次週へ持ち越すような場合は再びお借りしたい、とも。正直なところ、この展開はある程度想定していました。作業中に何度も台座部分の瓦礫や人骨を眺めながら「これはミスマッチだよな」と。ただ、依頼を受けた以上はやり遂げねばならぬ使命がありました。無心で作業し、形にした上で土曜日の21時までに届ける。それが我々の今やるべき仕事なんだ、と。
私と榎本君の見事な連携プレーによって仕上がった作品。思い入れも強いです。
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