活動家たちの日常
2015.12.01
「プロップレプリカ」という便利な言葉について、割と真剣に考える日々が続いています。「ホンモノはなかなか手に入らない。チャンスがあったとしても金額に手が届かない」「それならばホンモノさながらのディテールと凄味、神々しさを徹底再現してみたらどうか」、そもそもはこういうスタンスからレプリカを製作しています。ターミネーターはもとより、SFや映画小道具の世界に詳しくない人が見て「おおっ」となるのが理想で、「これってホンモノ?」と言わしめるにはどういった展示方法がいいのか、どんなライティングがいいのか、考えはそういう方向にも及びます。
このサイドショウの等身大エンドスケルトンなどは、なにも手を加えずにただ置いておくだけで見た人はみな「おおっ」と言い、「写真を一枚いいですか?」となります。これはただ単にサイズ故の存在感からのものです。「これは市販されていたもので云々」という説明をこれまで何度したことか。2009年にコイツが我が工房へ来たのは、[立体資料]としてだけの役目であって、人に見せたり驚かせる目的でもなんでもなかったのです。実際、ここ半年ほどで人目に触れる場所で展示していますが、それまでは長年人目につかない場所にコッソリと置いておりました。
リペイントをやり終え数日経ちますが、日常何気なく視界に入るそれは明らかに[別モノ]に姿を変えていることに気づきます。もちろんプロップには到底適いませんが、中国の工場から送られてきたそのものと比べると「重み」が違います。今にも動き出しそうなコイツを見ていると「志願した任務とはいえ、カイルは瀕死の状態でよくこんなのに立ち向かったもんだ。鉄パイプ一本で」などと、もはやプロップ云々を超えた変態的思索の世界へ落ちていきそうになるのです。「またこれや。嬉しそうなその顔!」とは、いつも傍らで私を見守る榎本氏の弁。
変態工房は今日もまた道なき道を進むのであります。
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