凝視に耐えるため
2013.08.10
前回掲載のT1フィンガー構成部品画像から、色々と感じ取って頂けましたでしょうか。
なぜ「可動」に拘るのか?それは、将来的にモーター・ワイヤー操作で動かすとか、グーチョキパーさせて遊ぶとかの意図では全くなく、理由は次のただ一点を実現するため。
「一つ一つの部品の独立感」
これです。もし、古くはアイコン製、またタイムレスやサイドショウ、ハリコレ版エンドアームをお持ちの方がいらっしゃったら、指の部品を凝視してみてください。あれら量産品の指パーツは全て「一体成形品」で、各関節部品がみな固定された状態で型取り・複製されています。部品と部品にまたがったメッキや汚し塗装からそれらは顕著にみてとれます(いつもの如く「他社製品批判」ではなく「マスプロの限界」に対するただの嘆きです)。
エンドアームが世界中でかなりの数が販売されたのは、エンドスカルなどに比べ芸術性・インテリア性が高く、円筒アクリルケースに収まった姿などはどこか「お洒落」とさえ感じさせてくれる魅力があるからなのでしょう。つまり、「一歩ひいて全体を眺める」のにはそれら量産品でも十分なのです。ただ、ひとたび細部の作りやメッキ具合を凝視してしまうと…(以下ご想像)。
マイルズ・ベネット・ダイソン氏が見つめるこのプロップ、後半に出てくるスタント用プロップとは別格の「造り込み」が伝わってきます。指関節一つ一つの独立感、見事です。リアルメタルを削り出して一つ一つ仕上げてあるので当然のことです。そして1984・カイル戦での損傷具合も丁寧に施されています。
いつかこのT2版もやりたいですが、まずはT1版でやらせてください。そしてしかと凝視してください。繰り返しますが今回のT1版エンドアーム、合言葉は「各パーツの独立感」です。
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